晴れた日の東京湾。 羽田沖の東京湾で釣りをしていると、頭のすぐ上を旅客機が通り過ぎているような錯覚を覚える。 何しろ発着便数は世界有数の巨大空港だからだ。空港を拡張してみたが需要にはまだまだ追い付かないらしい。 そんな羽田空港の周りは、マンションなどの高層ビル群や工場や倉庫が立ち並んでいる。 その様子から多くの人は、東京湾に無機質な印象を持ってしまう。だが、東京湾に面する羽田の沖合は立派な漁場だった。 昔は都市部から排出される生活用水などで、海が汚染されてしまい魚がいなくなっていた。だが、人々の弛まぬ努力の御陰で、水質の改善が進んでいった。 近年では魚も戻ってきており、江戸前漁師の仕事場として復活しているのだ。「今は魚がいっぱい居るよ。 俺たちにとっちゃあ、東京湾さまさまだよ」 そう言って東京湾で漁を営む漁師たちは笑っていた。 そんなある日、漁師の一人が手慣れた手つきでアナゴの仕掛けを引き上げていた。海からは次々と筒状の仕掛けが上がって来る。 ここ数日の天候は快晴。過ごしやすい日が続いていた。(海も荒れて無かったし、今日は大量になるかもしれんな……) そんな事を考えながら次々と上がって来る仕掛けを眺めていた。照り付ける太陽とささやかな海風が漁師の気分をほぐしいく。 昔はロープに結んだ仕掛けを手作業で引き上げていたが、今は船に設置したモーターでロープを引き上げている。(まったく…… いい時代になったもんだ……) 漁師は漁が終ったら馴染みの店に行って、カラオケでも歌おうかと鼻歌を口ずさみだした。 すると、何個かの仕掛けを上げ終わったところで、引き上げ用のモーターが異音を発し始めた。仕掛け用のロープに多大な荷重がかけられているのだ。「ん?」 漁師は怪訝な顔をした。仕掛け自体は重いものでは無いし、掛かった獲物が大きいと言っても限度がある。 アナゴ以外の物を引っ掛けてしまったのは明白だ。「アチャー。 また粗大ゴミでも引っ掛けてしまったか……」 昨日も小型冷蔵庫を引き上げたばかりだった。「……ったく、ゴミ代くらいケチケチすんなよ……」 今の日本ではゴミを捨てるのにもお金がかかる。少しでも節約したい人はどこかの空き地や川などに投げ込んでしまうのだ。 もちろん、不法行為で非常に迷惑な話だが、他人の迷惑など省みない人はどこにでもいる
水上警察署の遺体安置室。 安置室と言っても病院などにある部屋と違って、倉庫の一角なのかと見間違うような場所だ。地か駐車場の片隅にある倉庫のような場所だった。 そこに若い刑事と見た目くたびれた中年男がやって来た。「これが羽田沖で発見された御遺体ですね?」 男はステンレス製の運搬台の上に乗っていた遺体に手を合わせた。 男の名前は先島秀俊(さきしまひでとし)。先島は公安警察所属の刑事だった。 刑事と言っても一般の警察署に所属する刑事とは違っている。市民生活の治安を守るのが警察なら、国家の安全を守るのが公安の仕事だ。 日本に諜報機関が存在しないため、公安警察がその代行をしているようなものだ。 そして、先島は国家に害する人物の調査などを行う公安所属の刑事だ。「はい、名前は百ノ古巌(モモノコイワオ)五十六歳・男性・独身。 職業は小説家となっています」 若い刑事は担当者だったらしく、手に持ったメモ帳を見ながら答えていた。 最初、水上警察は事件性を疑っていた。だが、多摩川の河口付近に百ノ古のショルダーバックが落ちており、中に入っていた運転免許証から本人と断定出来た。 そして、百ノ古の行動を追いかけてみた所。当日に百ノ古は終始単独で行動しており、事件性が皆無であった事が判明したのだ。 恐らくは誤って川に転落した事故死であろうと警察は結論付けていた。何しろ争った形跡も無く、微量ながらもアルコールが検出された為だった。「本人は社会派作家を気取っていたようです」 担当者は疲れているのかため息が多かった。様々な事件を扱っている部署なので忙しいのであろう。「その方が飲み屋のお姉ちゃんにモテルみたいですからねぇ……」 そんな事をメモ帳を見ながら言っている。行きつけの店にも聞き込みに言っていたようだった。「まあ、実態は掴んだ情報を記事にしない代わりに、調査協力費を脅し取るゴロツキのライターですね」 事件を担当していた刑事はため息をつきながら言った。「それに恐喝や詐欺などで前科があります。 まあ、そこらにいる胡散臭いルポライターの手合いですよ」 どうやら担当者はマスコミを毛嫌いしているらしい。何しろ自分たちの都合でしか報道しないので信用できないのであろう。「今は、群馬県で起きた交通事故を調べていたらしいんですがね……」 先島は年の明けた辺りで起きた自
「気になったので付近の防犯カメラを調べたのですが、被害者は駅前で飲んだ後で一人で帰宅しているんです」 作家の事件当日の足取りは、独りで駅前の立ち飲み屋で飲んだ後、東京と神奈川の県境にかかる橋に向かっている。その様子を防犯カメラが写していた。しこたま飲んだらしく千鳥足であったのも確認済みだ。「鑑識が橋を調べたり、遺体を調べたりしましたが争った形跡が何処にも無かったので事故であろうと……」 橋から転落する様子は写ってはいない。だが、橋の欄干付近に嘔吐物があり、酩酊の末に橋から落下して死亡した物と結論付けたのだった。「そうですか……」 そんな報告を聞き流しながら、先島はチョウの携帯番号を眺めていた。「コイツは北安共和国の工作員でしてね……」 先島は担当刑事にそう告げた。担当刑事も静かに頷いた。「ええ、ひょっとしたら事故に見せかけて殺した……という線もあるかもと疑ったのですが、事故として片付けられてしまったので」 作家の水死と工作員の関連性は不明だ。だが、偶然など信じない先島はチョウの足取りを追う事にした。「今度こそ尻尾を掴んで見せる……」 かつて苦い思いをチョウにさせられた先島はそう呟いた。 先島はチョウの確保まであと一歩と言う所まで追い詰めた事が有る。 その時は覚せい剤の取引現場を抑える予定で乗り込んだ。しかし、警察上層部の裏切り者の密告によりチョウを取り逃がした。そして、現場では罠に嵌められた同僚や部下を失ってしまっているのだ。 余りの怒りに我を忘れた先島は、署内の会議室で裏切り者と対峙した際に相手を射殺してしまった。 その事を咎められた先島は警察に留置されたが、警察内部の手酷い汚点の発覚を恐れた上層部が事件をもみ消した。 釈放された先島は公安警察を追い払われて、国家保安室と言う実態も曖昧な組織に移動させられた。つまり、国家の監視下に置かれているのだ。 先島は捜査の途中で家族を交通事故で失っている。失う者が無い先島にとって、警察や国家の思惑などどうでも良い事だ。 何しろ国家の暗闇を熟知している先島は爆弾のような物だ。自由にさせると何をしでかすか分からない。警察の上層部は身分を刑事のままにして首輪を嵌めらる事にしたのだ。(狂犬でも飼い犬のままの方が使い勝手が良いのか……) それでも先島は公安を離れる気は無かった。同僚や部下の敵を
東京都内にある工場。 工場の入り口に黒い乗用車がやって来た。窓は黒いスモークで塞がれていて中を伺い知る事が出来ない。 車を乱暴に停車させスライドドアが開かれると、中から男二人が女子高生と思われる制服姿の女の子を引きずり下ろした。 女の子は目隠しをされ後ろ手に縛られているようだ。「ここは大丈夫なのか?」 女の子を抱える様に降ろして来た男が尋ねた。 工場の事を言っているらしい。「先週、不渡りを出して差し押さえになっているから誰も居ないんだよ」 運転手がドアを絞めながら答えていた。中途半端な金髪を揺らしながら笑っている。「へへへっ、動画を取って置けば良い小遣い稼ぎになるんだぜ」 車から続いて降りて来た、水色のジャンパーを着た男が薄ら笑いを浮かべながら言っている。「うへへ、今度は先にやらしてくれよな」 女の子を抱える男に言っている。どうやら彼がリーダーのようだ。「お前は直ぐに終わるからダメダメ」 リーダー格の男は首を振りながらダメ出しをしていた。「な、なんだよー」 男たちは下卑た笑いを上げながら工場内に入って来た。 だが、先に工場内に入った金髪の男がいきなり立ち止まっていた。「なんだ?」 リーダーの男が訝しげに尋ねた。「お、おいっ……」 水色のジャンパーを着た男が顎で工場内を示した。ぴちゃん…… 水が落ちる音が聞こえる。明り取りの天井窓から太陽光が差し込んで来ている。薄い靄がかかる空気に差し込む光はスポットライトのようだった。 その強い光芒の中に一人の少女が佇んでいた。「……」 少女は何も言わずに立っている。(女の子……なのか?) リーダーの男がふとそう思った。何故に少女と思ったのか? 小柄な体を黒い外套で包み、その裾元からはすらりとした素足が伸びている。 表情はフードに隠れて見えないが、長い黒髪が襟元から垂れているのが見えていたからだ。「なんだっ! てめぇわっ!」 リーダー格の男が大声を出した。羽交い締めしている女の子はビクッと震えた。 しかし、大声の割にイントネーションが妙だ。急に現れた少女に狼狽しているようだった。「私が誰だろうと貴方たちには関係ないわ……」 その少女は動じることなく答えた。「そうね…… でも、人からはクーカと呼ばれているわね……」 しかし、彼女は何故か名乗って来た。「その
男たちの慌てぶりと、拘束されている女の子の様子から察したのであろう。クーカと名乗る少女は男たちのくだらない企みに気付いたようだ。「おめえに関係無いと言ってるだろうがっ!」 大声をだしているが時々引っくり返っている。普通の女の子ならば見知らぬ男の集団には警戒心を持つものだ。ところが、目の前の少女は動じる気配すら無い。 その不気味さに異質さを感じ取っているのだろう。「群れの中なら安心出来るの?」 そんな事を言いながらクーカは一歩進み出て来た。「……」 妙な質問をする少女に、男たちは黙りお互いに視線を交わしていた。この異様な存在に戸惑っているようだ。「それとも強くなったような気がするの?」 黙っている男たちにクーカはまた一歩足を進めた。「……」 すると男たちは腰のポケットから折り畳みナイフを取り出した。クーカの外見から虚勢が通じると舐めてかかっているようだった。「自分が弱いと認めるのが嫌なのね……」 男たちが取り出したナイフを気にする素振りも見せずため息交じりに呟いた。「ぶっ殺してやる……」 男たちの誰かが呟いた。右側に金髪、左側に水色のジャンパーの男。囲んで脅せばどうにかなると考えたらしい。 するとクーカの外套の裾から何かキラリと光る物が顔を覗かせた。ナイフだ。しかも大きいサイズのようだ。 そう、クーカはククリナイフを取り出したのだ。 だが、それは普通のナイフと違っていた。全体が『く』の字に曲がっている独特の形状を持ったナイフだ。振り回した時に遠心力が働き、僅かな力で相手を切り裂く事が出来る。近接戦闘で絶大な威力を発揮するナイフと言われている。 クーカが近接戦闘で好んで使うもののようだ。「そんな軟な男に用は無いわ……」 黒い影がすっと動いた。「あぐっ!」 次の瞬間には右隣りの男が腕を抱えてうずくまった。彼が持っていたナイフは腕ごと切り落とされていたのだ。 クーカはすぐさま身体を低く落とすと、左隣の男のアキレス腱を切った。腕は関節を狙えば切り落とせるが、足はそうは巧く切れ無いからだ。 そのまま続けざまに右の男のアキレス腱を切っていた。「ぐわっ!」「ああああああああ!」 男二人は激痛のあまり絶叫しながらのた打ち回っている。 クーカはそんな事には目もくれずに体制を立て直してリーダーの男の前に立った。「くそっ!」
「そんな根性があるのなら…… 次はちゃんと殺してあげるわ……」 クーカはリーダーの男に微笑んだ口元で答えた。しかし、微笑みかけられた男は俯いてしまった。 やっと、格の違いに気が付いたのだ。 その様子を見たクーカは戦意は無くなったものと判断したらしい。拘束された少女の元にやってきて助け起こした。「今、自由にしてあげる…… でも、目を開けないで数を十程数えてね?」 クーカは少女にそう呟きながら、拘束されている娘のロープをナイフで切ってあげた。「……」 少女は黙って何度も頷いた。「……きゅう……じゅう」 十を数え終えた少女が目を開けるとそこら中に腕や足を散らかした誘拐犯が転がっていた。もちろん、自分を助けてくれた少女の姿は何処にも無かった。 少女は血塗れになった工場から素足のままで逃げ出した。「た…… 助けて……」 そこを通りがかったタクシーの運転手に保護されて、警察が呼ばれたのであった。「男の…… 被害者から証言は取れたのか?」 刑事たちは幾つかの血痕後を検分しながら聞いた。「男たちの方は出血が激しく重体の為、まだ証言は取れていません」 手帳に書かれたメモ書きを見ながら、ひとりの刑事が答えていた。「女の子の方は、帰宅途中にいきなり車に連れ込まれたと証言してます」 救急車で病院に連れていかれる最中に簡単な尋問を受けていた。「最近、ここいらで発生している連続婦女暴行グループのやり口に似てますね」「しかし、連中は鋭利な刃物で切り刻まれている……と、やったのは誰なんだ?」「被害者の女の子は一緒に居たんだろ?」「声とか聞いていたんじゃないか?」 工場内にいる刑事たちは口々に疑問を口にしていた。「いいえ、彼女は男たちを襲撃した人物への質問となると固く口を閉ざしてしまいます」 少女への聞き取りをしていた婦人警官は答えた。「自分は目を瞑っていたので、何も覚えていない……その一点張りですね」 婦人警官はため息を付いた。「庇っているんだろうなあ……」「はあ。 まあ、自分を助けてくれた恩人ですからね……」 恐らくは満足な証言が取れそうに無さそうだ。未成年なので無理な尋問も出来ない。状況から見ても彼女の被害を未然に防いでくれたのは確かだ。「工場の防犯カメラはどうだ?」 刑事の一人が壁際にあるカメラを指差しながら言った。「駄目で
保安室の事務所。 その事務所は都内の雑居ビルに設けられていた。 名目上は公安警察の組織だが、内閣府の国家公安委員会から直接命令を受けて動く。 正式名称は国家保障安全室だ。 もっとも、公安警察内部でも島流し部署と言われる事が多く、所属する人物も一癖も二癖もある者ばかりだった。 保安室には室長の田上哲也(たのうえてつや)をトップにして全部で八名の人間がいる。 ボンヤリとした部署名から分かる通り、元に居た組織からはじき出された人物たちが勤務している。元の組織では色々とやらかしているので扱いにくい、かと言って世間に放して好き勝手やられても困るので宛がわれているのだろう。 ここでは、日本の安全保障に対しての脅威となる人物団体などの情報収集が主な任務の部署だ。 よその国ではCIAを始めとする諜報機関が担うべき任務だが、何故か日本には存在していない事になっている。そこで公安警察や保安室が業務に当たっているような感じだ。 その活動内容から目立った建物では色々と不味く。マスコミの目を避けるためにも雑居ビルが使われていた。 事務所自体はビルのワンフロアを借り切っているので人数の割に大きい部類だ。 片側の壁にはびっしりと大型ディスプレイが設置され、要注意人物とマークされた者の行動が表示されていた。 その保安室の構成員である先島は古参に属する部類だ。 先島は百ノ古巌(モモノコイワオ)の手帳を眺めていた。先日水死体で発見された人物だ。「お前は何をしに舞い戻って来たんだ……?」 チョウの電話番号を指先で弾いてから手帳をパタンと畳んだ。他に何か無いかと鞄の中を漁ってみたが空振りだった。(また、武器取引でも始めているのか?) かつての取引に使われていた番号。その番号の移動記録を元に追跡調査を行い、あと一歩の所で取り逃がした経験を思い出していた。(狡猾なアイツが危険を冒すとは思えないんだがな……) それが活性化したという事は、チョウは再び取引を行おうとしているに違いないと踏んでいた。だが、同じ番号を使い意味がわからなかった。監視対象にされているのはチョウも気が付いているはずだ。(それとも何かの罠なのか……) しかし、それが何なのかさっぱり分からない。 先島は室長にチョウの調査を具申していた。組織に属している以上は好き勝手は出来ない。「まず、チョウと同
「奴の所属していた北安共和国の諜報機関は、個人それぞれが独立して動いています」 画面はチョウのプロフィールが映し出されていた。「その中でもチョウは高額の取引を行ない、共和国への献上額が大きいので優先的に便宜を図られていたようですね……」 先島は自分が覚えているチョウのプロフィールを幾つか言った。「共産主義者得意の末端組織の細分化って奴か……」「一人が逮捕されても芋づる式に検挙されないようにする為ですね」 室員たちが口々に話していた。「奴の取引の得意先は何処なんだ?」 室長が先島に質問して来た。チョウを追いかけていた先島が一番詳しいと考えたからだ。 画面はチョウが関連していると思われる一覧に切り替わっていた。「暴力組織や過激派、中には宗教団体もありましたね」 元々、チョウは武器のブローカー。世界中の紛争地に武器を配給している死の商人だ。 その伝手で様々な非合法の物を日本に持ち込んでは売りさばいていたのだ。しかも、自分の足跡を残さずにやってしまうので尻尾を掴ませないのも有名だった。「ああ、あの毒ガスを使ってた宗教団体……」 沖川みきが呟く。彼女が保安室に配属された時に、友人が毒ガス散布に巻き込まれて死んだと言っていたのを思い出した。。「ええ、検挙される前に宗教団体の代表は交通事故に遭って死にましたがね。 状況から見て私は暗殺されたと考えてます」 藤井がそう言って振り返ると、何故か先島が俯いて頭を掻いている。他の何人かの室員たちもそっぽを向いていた。彼らが何がしかに深くかかわっている感じを受けたのだった。「動きのある過激派や暴力団の情報を貰って来た」 翌日、室長が公安からの情報を携えて室内に入って来た。「三つの監視チームを編成してチョウの足取りを追う事にする……」 室長は動きが監視対象を3つに絞り込んで監視するつもりだ。それから一つにして検挙を行うのだろう。「宮田と加山はヒコマル派を担当しろ」 ヒコマル派は1970年代安保闘争で有名になった組織だ。日本各地の交番や銃砲店を襲って何人も死傷者を出していた。しかし、余りの過激さに学生たちからそっぽを向かれて組織自体は衰退している。だが、今でも生き残っている幹部たちは武装闘争の夢を諦めないでいるらしかった。 幹部の一人が北欧で北安共和国の重要人物と接触していたらしい。「久保田と
地下一階。 全員が銃を構えたままエレベーターを見つめている。不意に開いた扉から何かが室内に放り込まれてきた。「手榴弾っ!」 誰かが叫んだが投げ込まれた物は、床に落ちる音と同時に炸裂した。強烈な音と閃光がホール内に充満した。「くそっ! スタングレネードかっ!」 警備隊長が自分の目を手で覆い隠しながら唸るように喋った。「撃てっ!」 だが、その掛け声よりも早く、ホール内に侵入を果たした者がいた。全員が目を離したので気が付くのが遅れたようだ。「ぐあっ!」 クーカは飛び込んで最初の男の首にナイフを突き立てた。そのままの体勢で隣に居た男の首を跳ね、返す刀で三人目の腹を切り裂いた。ナイフを使ったのは自分の存在を悟られるのを遅らせる為だ。(手前の右側に三人。 左側に二人。 左奥に二人。 右側奥に三人。 大関は一番奥の台座……) 彼女は右側の三人を始末している隙に、地下に居る人員の配置を見ていた。 男たちはいきなりの目くらましに気が動転しているのか銃を入り口に向けたままだ。次のターゲットはこの二人。その前に左奥の二人の内モニターを監視していた男にはナイフを投げ込んでやった。ナイフは男の首に刺さったが、傍に居たもう一人は咄嗟にしゃがみ込まれてしまった。牽制はとりあえずは成功だ。 クーカは腰から銃を取り出し、左手前の二人に銃弾を送り込んでいく。二人は横合いから来る銃弾に反応できずに、何が何だか分からない内に絶命してしまった。 ここまで掛かった時間は一分も無い。しかし、尚も台座に向かって突進していくクーカ。「くそっ! 小娘がっ!」 モニターの所に居た男が立ち上がって拳銃を撃って来た。しかし、クーカには当たらない。銃弾を右に左に避けながらクーカは男に迫っていく。「何故、当たらないんだっ!」 男は尚も引き金を引き続ける。しかし、銃弾はクーカの身体を捉える事無く床に後を残すだけだった。弾道が見えるクーカには無意味な行為だ。「悪鬼め……」 男の懐に飛び込んだクーカは右手のククリナイフで男の腕を薙ぎ払らった。それから、左手の銃で男の顎下から撃ち抜いた。 男は仁王立ちの状態からゆっくりと倒れていった。クーカはそのまま男の影から右奥の男たちを銃で撃ち倒した。 右奥に居た男たちはアサルトライフルを構えていたが、クーカが倒した男が邪魔で撃てなかったらしい。その
工場の入り口。 ここに来るまでに妨害行為は皆無だった。工場内に兵力を集中させたと見るべきだろう。 工場の入り口には監視カメラが有った。クーカはカメラに向かって携帯電話をかざして何やら操作した。(よし…… これで時間が稼げるっと……) 彼女は強力な赤外線を放射させて、監視カメラのCCD部品を飽和させたのだ。 こうすると自動回復するまで暫くは時間が稼げる。外国の強盗団が良く使う手口だ。 普段なら銃の形をしたアイテムを使っている。だが、今回は日本に持ち込む暇が無かった。(確か…… この辺よね……) 彼女はエレベーターホールに辿り着いた。そして、ホールの隣に有る掃除用具などがある備品室に入り込んだ。 クーカは保安室で見せて貰ったビルの設計図を覚えていた。 五階にあると言う秘密エレベーターの入り口に行く気は無かった。敵が待ち構えているのは分かり切っているからだ。(入るのに手間が掛かるのなら、壁に穴を開けてしまへば良いのよ……) 彼女はショートカットするつもりなのだ。別に友好的な訪問をしに来た訳では無い。真面目に敵の希望通りに動く必要も無いだろう。 背中に背負ったウサギのナップザックを降ろして中から四角い粘土のような物を取り出した。(加減が難しいのよね……) 壁に粘土のような物を張り付けていく。映画やドラマでお馴染みのC4爆薬だ。自在に形を変えられるので、こういう作業には向いている爆弾だ。(ん?) 爆薬を壁に張り付けていると、エレベーターの動作音が聞こえて来た。(誰か降りて来る……) いきなり監視カメラが使えなくなったので様子を見に来たのであろう。「……」 仕掛け終わったクーカは爆弾を爆発させた。爆弾の爆風は動作していたエレベーターの安全装置を作動させ停止させてしまった。(これで何人かは閉じ込める事が出来たっと……) 懐から降下用器具を取り出し、エレベーターのワイヤーに固定した。これを使って一気に降りるのだ。爆破音が響いた以上は、敵に何が起きたのかは伝わってしまったはずだ。 固定を確認するとクーカは中空に身を躍らせた。降下器具はゆっくりとだが彼女を静かに地下へと降ろしていく。(地下には何人いるのかしら……) 降下しながらクーカは考えた。もっとも敵の数は彼女にとっては問題では無い。掛かってしまう時間の方が問題だった。だから、
道半ばまで来た時に不意にクーカが立ち止まった。工場入り口までは一本道だ。迷うような場所では無い筈の場所だ。「右に三人…… 左に二人…… 化学工場に狙撃者が一人いるわ……」 クーカがそう呟いた。「……」 目を凝らしたが先島には見えなかった。 不意にクーカが空中に何かを放り投げる。次の瞬間。辺りは閃光に満たされた。 彼女が使ったのはスタン・グレネードにも使われる、アルミニウムと過塩素酸カリウムで練り込んだお手製の閃光手榴弾だ。きっとヨハンセンが作成してくれたものであろう。 襲撃されるのが分かっているのに暗くしている理由は暗視スコープを使用しているからだ。クーカは相手の視覚を奪って有利に事を運ぼうとしていた。(いやいや…… 先に言ってよ……) 先島が閃光に戸惑って立ち止まっていると、通用道路の右側を目指してクーカが走り出した。走ると言うよりは飛び込んでいくと言う方が合ってるのかもしれない。それと同時にククリナイフを外套から覗かせているのが分かった。「うぐっ」「そっちに行ったぞっ!」「ぎゃっ!」 声を掛ける間もなく暗闇の中から叫び声が聞こえた。銃声が聞こえない所を見ると相手が構える前に始末をつけているらしい。「仕事が早いな……」 先島も弾かれたように左側の樹の根元に銃弾を送り込んだ。ほんの一瞬だが人が居る気配がしたからだ。「ぐあっ!」 樹の根元に居た一人に命中した。目線を上に向けると樹の上にもう一人居るのに気が付いた。 上半身を起こしている。狙撃するつもりがいきなりの閃光で気が動転していたに違いない。無防備な状態で顔から暗視スコープを外そうとしているらしかった。 先島は続けざまに銃弾を送り込んでやった。樹の上の男はスローモーションのように落ちて行った。 その様子を見ていたクーカは先島に近寄ろうとした。すると。ヒュンッ クーカの耳元を何かが通り過ぎ、傍の樹木に弾痕を作った。狙撃されたのだ。(そういえば狙撃手が居たわね……) 足元を見ると倒れた男はライフルを持っていた。クーカはそれを拾い化学工場に向かって立膝で構えた。狙撃手を片付ける為だ。 大体の所に狙いを付けると引き金を引く。自分の狙撃銃では無いので撃ちながら調整する為だ。 一発目。(左に逸れている……) 二発目。(右に逸れた……) 三発目。(これでお終い……
「すごいじゃない……」 クーカが先島の射撃の腕を褒めていた。先島はニンマリと笑っていた。褒められたのが嬉しかったらしい。 だが、追っ手の車は一台では無かった。直ぐに新手が現れた。「ありゃりゃ……」 先島はガッカリしてしまった。そんなに予備弾倉を持って来て無いからだ。 元より日本の警官は銃を撃つことは無い。相手が銃器を所持している事が少ないし、銃撃戦が想定される時にはSWATチームへの出動要請を行うからだ。 先島は再度車の方向転換を行い正面を向いて車を走らせた。バックだけではすぐに追いつかれてしまうからだ。「弾倉を変えてくれっ!」 先島はクーカに銃を渡した。車の操縦に忙殺されているからだ。 銃を渡されたクーカは先島の胸のポケットから予備の弾倉を取り出して取り換えた。 そして、クーカが助手席の窓から身を乗り出して追っ手の車に銃撃を加える。 もっとも撃ったのは一発だ。しかし、彼女には一発で十分だった。追っ手の車から身を乗り出して撃っていた男は、仰け反ったかと思うとうな垂れてしまったのだ。「やっぱり、凄いな……」 その様子を見ていた先島は苦笑しながら運転を続けていた。追っ手の車は急に減速していくのが見える、次は自分の番だと思ったのであろう。(やはり自分の銃じゃないと駄目ね……) どうやら狙いを外してしまったらしい。彼女は相手の拳銃を撃ち落としたかったのだ。クーカは一発で決める事が出来なかった事を反省していた。 警備の詰め所は無人だった。車はそのまま工場の敷地内に侵入して駐車場にやってきた。工場入り口まで行きたかったのだが車止めがあったのだ。「どうやら俺たちが来る事はバレバレだったみたいだな……」 一見すると無人に見える工場を眺めながら先島が呟いた。「ええ、歓迎の準備は整っていると見るべきね」 そういうと車を降りていった。「……」 先島は少しため息をついた。もう少し大人を頼りにしても良いのにとも思っていたのだ。「貴方も行くの?」 一緒に車から降りた先島に、拳銃を返しながらクーカが尋ねた。「ああ、色々と問題はあるけど日本を守るのが俺の仕事だ……」 先島は拳銃の残弾を確認しながら答えた。「そう……」 クーカはそう言ってスタスタと先に歩き出した。日本を守る云々は興味無さそうだった。先島は少し肩を竦めて後を付いて行く。「その
都内湾岸地域。 夜中の都内湾岸地域。 海岸沿いの道をクーカは一人歩いていた。鹿目の工場に向かっているところだ。 本当はヨハンセンに送って行って貰おうとしていたのだが、生憎とクーカの脱出経路の準備に忙殺しているらしかった。 そこでクーカはテクテク歩いて向かう羽目に成ったのだ。 普通、夜中に女の子が歩いていると、厄介な連中に絡まれてしまうのを心配するものだ。だが、工場地帯の真ん中では車すら滅多に通らず心配は無用なようだ。 もっとも、何も知らずにクーカを襲うと後悔するのは犯人の方であろう。 すると、そこに一台の車が接近して来た。車はクーカを追い抜く事も無く並走するような感じで速度を緩めた。「……」 クーカが車内を見ると先島がハンドルの上で両手を広げていた。敵意は無いと言いたいのだろう。「……」 クーカは静かにため息を付いて助手席に乗り込んだ。どうせ無視してもしつこく付いて来るのは分かっていたからだ。 先島はのほほんとしてる風を装うが、事態の推移を自分の望む方に誘導しようとする。中々厄介な奴だとクーカは考えていた。「やあ、お嬢さん。 偶然だねぇ…… どちらまで?」 先島がニコヤカに聞いて来る。(笑顔が張り付いている……) そうクーカは思った。愛想笑いが苦手なのだなとも思っていた。「同じ処よ……」 クーカはシートベルトを体に付けながら答えた。(分かってる癖に……) 先島が工場の存在を海老沢から聞き出したとヨハンセンから予め電話で知らされている。つまり、クーカが先島に近づいた目的も感ずいているに違いなかった。 クーカは研究所にあると思われる両親の臓器を探したかったのだ。「ははは。 じゃあ、一つだけ…… 相手をなるべく殺さないようにね?」 先島はクーカの方を見ずに言ってきた。「…… 努力はするわ ……」 クーカが仕方なく返事をした。敵を殺さないで無力化するには結構手こずるものだ。 体力勝負になると自分自身が危なくなってしまう。 返事とは裏腹に手加減はするつもりは最初から無かった。「後処理が面倒なんだよ……」 先島が車を運転したままに続けた。車は一路工場へと向かっている。 その言い分にクーカはキョトンとしてしまった。「そっち?」 てっきり人を殺める方を咎めているのかと思っていたからだ。 クーカを車に乗せた先島は鹿
保安室近辺。 藤井あずさが帰宅しようと歩いていると一台の車が寄って来た。 車が藤井の傍に止まると車の運転席が開き、男が小走りで藤井の傍に来ると耳打ちした。 促されるように身を屈めて中を覗き込むと、後部座席には老人が一人いた。鹿目だ。 藤井はそのまま後部座席に乗り込み鹿目に報告を始めた。「先島が生物兵器の存在に気付いたようです……」「……」 鹿目は何も言わずに藤井の話を聞いていた。「海老沢から工場の構造などの情報を収集して向かいました」「……」 鹿目は黙ったまま話を続けよとでも言いたげに頷いただけだった。「クーカも同様に保安室から情報を入手して向かっています……」 藤井は座席に座ったままで老人に報告をしていた。「手の者が手厚く迎えてくれるじゃろ……」 徐に口を開いた鹿目が答えた。手の者とは大関の部下たちだ。「彼女は貴方を許さないと思いますが……」 藤井は伏し目がちに聞いてみた。 鹿目が作る生物兵器はまだ研究の途上だ。政府機関が表立ってやるわけにはいかないので、鹿目が代わりに研究してやっているのだ。それを咎められる筋合いは無いとも考えていた。 平和平和とのんきにお題目を唱えていれば、日本への脅威が無くなるわけではない。 世界大戦後に局所的紛争しか発生しないのは、核兵器による暗黙のルールがあるお陰だと鹿目は考えている。 日本が核兵器を所持する事が出来ない以上は、それに替わる兵器を所持するべきなのだと信じているのだ。 その一つが生物兵器だった。勿論、生物兵器禁止条約で禁止されている品目だ。 だが、世界各国は絵空事など気にもとめないで研究している。 そこで日本も対抗策として行うべきだと鹿目は考えていた。 生物兵器の一つが完成が近かったのだ。そして、研究の完成にはクーカの両親のDNAが必要だったのだ。 海老沢の体から取り出した臓器を、他人の物とすり替えたのも鹿目の指示だった。 クーカが臓器が偽物だと何故気がついたのかは謎だった。それは、もはやどうでも良い問題だ。 問題は研究施設の安全をどうやって守るかだ。 幸い、保管庫は自分か大関かの生体認証が必要だ。 認証の為には右目の中の虹彩と、右手中指の静脈の両方が必要だった。 しかし、人間が作ったものに万全が無いのも事実だ。 ならば、脅威であるクーカの始末をすれば解決した
ところが改良が巧く行ってないらしいとも言っていた。しかし、それは鹿目の事情で在り資金を提供している北安共和国は関知する所では無い。早急に結果を出せと迫られているらしい。「未来永劫で役立たずのデ……首領様に導いて欲しんだとさ」 海老沢が再びクックックと笑っていた。「その細胞を根本的に改良する為に、クーカの両親のDNAが使われる予定だったのさ」 ひとしきり笑ったのちに付け加えた。(それで鹿目の事を知りたがっていたのか……) クーカが鹿目に拘っていた理由が判明した。彼女はDNA情報を葬り去りたいのだと思った。「最終的には北安共和国の首領のクローンを作成するのが目的だと聞かされているがね……」 その為にクーカ一家の細胞(Q細胞)が必要であった。 それを手に入れようとしたチョウは、エバジュラム国まで出向いたがクーカの妨害により失敗した。 チョウの失敗に激怒した北安共和国諜報機関はチョウの家族を労働矯正収容所に放り込まれてしまったのだ。「その生物兵器の情報を、三文小説家にリークしようとしたんで消されたのさ」 家族の窮状を知ったチョウはクーカを逆恨みしていたのだった。「そこで百ノ古巌が出て来るのか……」 先島がポツリと漏らした。「誰だって?」 だが、名前を聞いた海老沢は首を傾げた。自称社会派ジャーナリストの小説家の名前までは知らなかったようだ。「知らないんならいいよ。 死んじまったし……」 先島が答えると海老沢は首を少しすくめた。死んだ者には興味が無いのだろう。「それで、秘密工場は何処に有るんだ?」 先島が話を促すように言った。肝心の工場の在処がまだだったからだ。 「知ってどうするんだ?」 海老沢が聞いて来た。「きっと、工場にボヤが起きて中身は全て燃えてしまうよ……」 それを聞いた海老沢はニヤリと笑った。彼もクローン工場の事は気に入らなかったようだ。 海老沢が再び話を始めた。「鹿目化学の湾岸工場に併設されている野菜工場がそれだ」 海老沢のスマートフォンに問題の工場が映し出されていた。それの隅っこの方に窓が片側にしかない建物が写り込んでいた。「もっとも、野菜工場と言っても露地などで作られるものじゃないんだ」 海老沢は問題の建物をスイープで拡大して見せた。「今、流行のLEDライトを使用した人工光の工場なのか?」 先島は
「だから大関と鹿目の関係さ。 なんで大関はクーカを使ってまで鹿目を脅したがるんだ?」 チョウを狙撃したのはクーカであろうことは分かっている積もりだ。近所の防犯カメラにクーカらしき人影が映っていた。証拠としては弱いが嫌疑をかけるのには十分だ。「……鹿目が北安共和国との約束を守らないからだ」 渋々という感じで海老沢が語り出した。 鹿目は北安共和国首領用の移植用臓器作成を請け負っていた。だが、違う臓器を渡していたようだ。「なんで鹿目がそんな危ないことやるんだ?」 鹿目は財界の大物だ。配下に一流と言われる会社を幾つも持っている。彼の企業があげる収益から見れば臓器密売などチリにもならない。「人の命運を握るのは魅力的だったんだろう…… たぶん」 確かに一度移植を受けると定期的な検査が必要になる。元の情報を握っている方が立場上有利なのは確かだ。どんなつまらない事でも人の上に立ちたがる人間は居るものだ。「そのデザインされた内臓を培養してある程度大きくなったら、提供された人間に移植して培養していたのさ」「提供された人間?」「北安共和国から提供された人間だ。 彼等は日本人の中で培養された臓器を使うのを嫌がるんだよ」「良く分からん拘りだがね……」 そう言って海老沢は笑った。「鹿野は生体培養を担当して、大関は提供された人間を管理していたんだ」「お前さんの役割は何だ?」「俺は人間を運ぶのが仕事だ。 主に漁船を使ってやっているがね……」 昔は覚せい剤などを沖合で取引する『セドリ』とい手法があった。だが、海上警備や港湾警備の強化で現象していると聞いている。「大関はどう関与してるんだ?」「その話を鹿目に持ちかけたのが大関だったんだよ」 大関はクスリ関係の密輸取引で北安共和国と繋がりがあったらしいと公安のファイルにはあった。「もっとも奴の目的は別だったけどな」「別?」「自分のクローンを鹿目に作らせようとしてるんだよ」「権力を待った人間なんてみんな一緒さ。 来世救済を信者に解く癖に自分は死にたくないんだとさ」「笑っちまうよな……」 海老沢はクックックと押し殺したように笑っている。余程面白かったのだろう。身体が震えているようだ。「ところがだ…… その検体に致命的な不具合が見つかったんだよ」 ひと通り笑い終わった海老沢は話を続けた。「人を食いつぶ
海老沢邸 先島は車の中で鼻をぐずぐずさせていた。さあ、海老沢邸に乗り込もうとした途端に、いきなり大きなくしゃみをしてしまったのだ。(風邪でも引いたかな……) 何だか出鼻をくじかれた思いだった。(今日は正面から訪問するか……) 前回に海老沢に会いに来た時には、クーカに狙われて助かった理由が知りたかっただけだった。 だが、色々な事情を探る内にクーカの戦闘に対する考え方が分かって来た。彼女は自分に敵対する意思の無い者には、攻撃をしないのだと確信していた。 それは彼女自身の強さに起因しているのだろう。 クーカの詳細な人物リポートを読むと、クスリで強化された兵士である事がハッキリと書かれている。それまでは噂で伝聞される類いの物だけだった。強さに裏打ちされた自信。彼女が史上最強の暗殺者と呼ばれる所以であろう。(まあ、実際にあのジャンプを見ると納得出来るものが有るよな……) 何度も驚異的な跳躍力を目の当たりにすると、納得できるものがあったのだ。 今回の海老沢への訪問は、大関と鹿目の関係を探るのが目的だ。クーカが二度も来たのには理由があると考えていたのだ。 先島は門を潜り抜け玄関の呼び鈴を鳴らさずに屋敷内に入っていく。すると居間に海老沢が居た。「……少しくらいは礼節を弁えたらどうなんだ?」 海老沢は憮然として言い放った。元々、警察嫌いだし公安は輪をかけて嫌いなのだ。「やあ、聞きたい事があって来たんだ」 そんな問いかけを無視して、先島が張り付けたような笑顔で語り掛けた。「普通は門の所にあるインターホンで用件を言うもんだろう」 先島が門を潜り抜けた辺りから気が付いていたらしい。海老沢の御付きの者たちは下がらせているようだ。揉めるのが嫌だと見える。「大関と鹿目の関係が知りたくてな……」 先島は海老沢の恫喝など気にせずに言い放った。「当人たちに聞けば良いんじゃないのか?」 海老沢としても余り関わり合いになりたくは無い様だ。クーカに関わったばかりに部下を八名ほど失っている。後処理が非常に面倒だったのだ。「どっちも宗教界と財界の大物だ。 木っ端役人なんか相手してくれるわけないだろう?」 先島は少し肩を竦めながら返事をした。「教えるにしても俺には何のメリットもねぇじゃねぇか」 海老沢が吐き捨てる様に言って来た。その木っ端役人は自分の所なら気